コウカナ?と思ったことを書いてみる。

「そんなに語りたきゃ自分のブログでやれ!」「…ハイ、そうします/_;」ネット掲示板で読んだあれこれにコウカナ?と思った事を日々投稿してます。このブログはその覚え書きです。

わたしのかんがえたわたしのコミュ障

Twitterでコミュ障ってなに?という問いかけを見かけました。
私はよくコミュ障と自称するので、何か答えを書いてみたくなってつらつら考えました。まとまらないまま、書き留めておきます。


コミュ障(自覚)の定義
自分はコミュ障だと思うのと、あいつはコミュ障だと思うのと、人からあなたはコミュ障だねと思われたり言われたりするのは別のことだとおもってる。
ここでは一つ目についてだけ書く。

コミュ障はコミュニケーション障害を縮めた言葉だろうけど、既に医学的な定義からは離れたスラングだと思う。多分、「会話下手」「意思疎通に難あり」くらいの意味で使われてると思う。


「会話下手」「意思疎通に難あり」を、私なりに詳しく言うと、
・自分の伝えたいことを適切に伝えるスキルが低い
・何を伝えたらいいのか、その場のスタンダードがわからない
・それを自覚してコンプレックスを持ち、対処しようとして失敗し疲れてしまうことが多い(もちろんコミュ障を自称しているけれど対策に労力を割かず主観的にはコンプレックスもなく疲れない人もいるとは思う)


私が自分をコミュ障だと思うのは「伝えるスキルが低い」「スタンダードがわからない」からだけれど、より具体的に書いてみる。

相手の好意に応えるのが苦手
相手にしてもらったことをちゃんと覚えていて、ちゃんとお礼を言って、してもらったことに相当するお返し(物も、心遣いも)をするのが大事だというのはよくわかる。
だけどとても気をつけていないと忘れがち。
理由は、
①人にあまり関心がないから
②自分はあまり人に何か利益になるようなことをしないけれど、たまにしたときにはお礼とかお返しとか覚えててほしいとか無くて、一般的にはするものだというのは知識に過ぎないから。
③むしろ、お礼を言っていただいたり、お返ししていただいたり覚えててあとあと言われたりすると、どう反応していいか困るから。
「あ、どういたしまして」は言えるけど、それ以上言う事がわからない。世間の人は何かしら言ってるようだけど…。


お礼に限らず、相手から何か好意的な反応があったら、一般的にはどうやら「どういたしまして」とか「ありがとう」のあとに、その話題に関連した情緒的なエピソードを、ウザくならない程度に自分語り(自己開示)するように思うけれど、そんなにパッとエピソード出てこないし、どこまで語るのが適切かもわからない。

私の観察では、下記のような流れを割と見かける気がする
例1
相手「そうなんですよね、わかります」
私「ありがとうございます。○○さんも〜〜ですか?私は〜〜で〜〜なこともありますけど、お互い頑張りましょうね〜」
例2
相手「ありがとうございます!」
私「どういたしまして!○○さんのツイート、いつも〜〜で楽しく拝見しています!私は最近〜〜なんですよ!〜〜も楽しいですよね」

私は上記の、〜〜の部分がわからない。みんな何であんなにユーモア交えて硬すぎず失礼にならないラインで返信できるの…?
それはリアルの人間関係でもしょっちゅうそう思う。

結局、思いつかなくて「ありがとう」「どういたしまして」だけの、木で鼻をくくったような事しか言えない。
それで自分がみじめな気分になるのはもう慣れてまぁこんなもんか通常運転…だけど、私の冷たい反応は一般的には失礼な振る舞いだし、人によっては傷つけちゃう。

もう少し微妙なのが、相手が好意的な事を言ってくれてるのに、「ん〜〜それはちょっと私の思ってることと違うな〜」と思うとき。「そうなんですよ!」って返せないけど、人に「違います」って、良好な関係を維持したいというニュアンスを込めて言うの超絶ハードル高くないですか…?
仕事上必要だったり、関係を切ってもいい相手なら言えるけど、そうじゃない相手だらけですよね世の中…。殊に、傷付きやすい人にはとても言えないし…
あ、相手から切られる心配がなければ言えるけど、そんなの家族くらいしかいない。

(この手の「違います」はもしかしたら私以外も飲み込んでるのかもしれない、「寝不足で頭痛い」に「頭痛は辛いですよね!わかります」と反応されて(イヤ頭痛はそれほどでも…寝不足がしんどいの〜)とか、わざわざ言わない…ような気がする。)

とにかく、どこまでコミュニケーションを取るのが適切なのかが常に不安。それは間柄によっても違うし、場の習慣にもよるし、相手がどのくらい求めてるかにもよる。

逆に言うと、初対面とか客と店員のように、どこまでが適切か学習によって自分の中に基準ができているときはあまり大変ではない。

PTAの役員として初対面のボランティア参加者に説明するのは、必要な情報を伝え、相手が疑問を感じる素振りに気をつけて捉え、感謝の気持ちを笑顔に乗せてれば大丈夫。
フレンドリーなタイプに見える服屋の店員さんと話す時は、こっちもやや距離なしな感じで自分の服の好みや予算を「あっそれはあんまり〜」「いい!けど予算ないんだ〜」とタメ口でやればしのげる。

立場が比較的緩やかな場で、堅苦しくなくかつ失礼でない振る舞いがわからない。多分、素でいると私はとても失礼な事をしてしまう。


例:ネットで○○がわからないと言ってる人に、自分の知識を伝えるか?
素でいると私はクソリプ製造機になる自覚がある(なぜそれがわかったかというと、「こういうクソリプは今後ミュートします」といわれてるようなリプ、どんなのだろうと思って読んでみたらまさに私が書きそうなものだったから)。

だからアレコレ考える。
自分の知識は完璧じゃないし、説明も上手くないから、他の人が答えるのを待つべきか?
もう他で知識を得たかもしれないし?
私の持ってる答えは相手のニーズを満たしてるのか自信がないし…
そもそも相手は答えを求めてはいないかもしれないし。
いや、そんなに重く考える必要はなくて、サラッと答えて、不要な答えだったら相手がスルーするだろうからそれていいじゃん、
イヤイヤそれをやってクソリプってバッサリ切られてる例のなんと多いことか、それは痛いからやだ、
しかし答えを伝えたい欲が大きいという矛盾がある

もっと面倒くさいことに、私がそう考えていると人に知られたら、クソリプと思っても思ってないようなふりをされるかも…それは嫌だ…でもきっと自分は知り合いのクソリプにはクソリプと思ってはいないふりをしてしまう…みんなが私と同じであるわけはない…でも可能性の一つではある…のグルグルが始まるんだな アホちゃうか…


コミュ強と見える人(外から見たことしか書けない)は、ここまで書いたようなグルグルをあまりしないか、グルグルを解消するスキルとスタンダードの知識を身に着けたかして、あまり悩まず、その選択は大抵好意的に受け入れられるような人と思う。その場その場で、どう言えば相手がどう思うかの判断が大抵正しい。ように、見える…。


まとまりなく、これで終わりです。
相変わらずの「私が私が、私はこうなの」ばかりの通常運転です…。
また何か考えたら書くかも
前のファクトフルネスの記事も追記書いてないから、また書こうと思うだけで放置かも…すみません(誰に?)

この記事の超短縮版ツイート
https://twitter.com/tBmv0Apg7tNb2h7/status/1154753695172612097?s=19

似たような事を以前ツイートしていたのを見つけたので貼っておく。
https://twitter.com/tBmv0Apg7tNb2h7/status/1130618208388431873?s=19