「みにくいアヒルの子」にレス
別に何かヒトコト言ってやりたいわけじゃなく、常々思っていた事をトピずれなんだけど書いてみた。
トピ主さんごめん。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2017/1007/822115.htm?g=08
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醜さ故に虐げられていたアヒルの子は、結局、「美しい」白鳥になったから幸せになったのですよね。
昔話や近代以前の物語では、外見の美と心の美しさは切り離せないことのような気がします。野獣もカエルの王子も美しい人間に戻りますし、意地悪な姉は醜くく優しい妹は美しい。心の美しさを外見で表現しているのでしょうから、そこは違和感を棚上げにして読むのが物語を楽しむすべなのでしょう。
でも私の素直な感想をあえて言うなら「みにくいアヒルの子と同じ外見で同じ美しい心でも、白鳥にならない鳥だったら不幸なままなんじゃないの? そんなの酷い! みにくいままで幸せになる展開の方が好きだ!みにくいアヒルの外見こそが愛おしいのだ!」です。
とはいえ、主人公に注目して見ると白鳥の姿もまた同じアヒルの子であることに変わりはないのですが。
自分がアヒルの子であったならと想像しますと。みにくい外見を疎ましく思ったこともあったが、それも自分だと受け入れて生きてきた。それなのに美しくなった途端、周りは手のひらを返すようにちやほやしてくる。やっぱり外見が10割なのか?……と、モヤモヤして、美しくなった外見を再受容するのに時間がかかりそう。
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子どもの頃からこれに近い事を思っていたなあ。子どもの私の語彙だったらどんな文を書いたんだろう……。